扇形対四角形

 

ラグビーW杯で日本がサモアにも勝利しました。これで、ベスト8も見えてきました。

ラグビーのルールもよく分からないのですが、素人なりに、スクラムの美しさが凄いと思いました。

最近のテレビ映像は、あらゆる角度からスクラムを撮っています。その中でも、真上からのスクラムの映像が面白い。日本チームは2列目の両サイドの選手の足の位置がサモアチームよりも随分外に開いています。そのため、真上から見ると扇型に見えます。

極端に言うと、扇形対四角形。これだと、扇形のほうが中央に力が集中するように思います。横からの映像でも、日本チームの方がサモアチームより低く一枚岩になっているように思いました。

来週のスコットランドとの試合でも、同じような美しいスクラムを見て、勝利を祝いたいものです。

のボール

あじさいの杜鍼灸院(私の治療院)は、定休日がありません。これは、年中無休ということではありません。ただ単に、定休日を決めていないというだけです。そのため来月は、京都出張治療で、10月2日、3日、4日、そして、宮崎県宮崎市で山元式新頭鍼療法の全国大会があるため、12日、13日と臨時休業します。それに加えて、山元式新頭鍼療法中級セミナーが東京であるため、27日も臨時休業します。

今月は、本日が臨時休業。

理由は、のボール野球参加のためです。のボール野球とは、私の高校時代の稲見達彦監督(14シーズン松山東高校の監督をされました)が、史実に基づいて、正岡子規が松山中学(現在の松山東高校)に伝えた当時の野球を再現したものです。

ユニホーム、バット、ボール、グラブそしてルールも当時のまま。審判員は、はかま姿。

ホームベースからの塁間は、現在と変わりはありませんが、投手は現在のプレートより2m程ベース寄りで、下手投げです。打者は「ハイボール、フラットボール、ローボール」の要求をします。投手が要求されたボールを投げなければ・・・・いわゆる「ボール」。

そのほかルールは、野球とは違うのですが、草野球そのものです。楽しい❣️

野球の原点がそこにあります。これなら、小学生が一緒でも楽しくやれそうです。

私事ですが・・・今回で3回目の参加で、やっとヒットを打つことが出来ました‼️

思いっきり走っても、足がもつれて転げてしまうし・・オッサン、ちょっと変身するか❗️

朝の儀式

「お客さん、お客さん、松山駅に着きました。」

京都からの夜行バスで、グッスリ眠ってしまい松山駅に着いたのも全く気付きませんでした。時計は、6時少し前を指しています。そこで、タクシーを拾い、あじさいの杜鍼灸院に帰ったのが、6時10分くらい。

それから、洗濯。お風呂を45℃にして、水素を発生させること30分(入浴時は、42℃くらい?)。その間、有線のBBC放送を大きくかけながら、トイレと院内の拭き掃除。ここくらいで、だいたいリズムがつかめるようになり、徐々に治療可能体勢となっていきます。

掃除が終わると、水素風呂に飛び込み、歯みがき、ひげ剃り、軽石で足ウラをこすって、石鹸で髪を洗う。山元式新頭鍼療法(YNSA)で頭皮の重要性を知ったので、しっかりと時間をかけて洗う。最後は、水浴び‼️これで、カラダがしっかりします。カラダの毛細血管をつなぎ合わせると、地球を2周半。これだけの血管を鍛えるには、水浴びが最高です。この水浴びは、20年近くやっています。

そして、8時からの朝ドラ「なつぞら」をしっかり見て・・・高畑勲監督のモデルがなつの旦那さんなので、興味深いです・・・治療体勢、万全です(おっと、今日は、神棚に水と塩と米をお供えするのを忘れてしまいました)。

さて、今日の患者さんは・・・明日、書きます。

Eldad Ziv

楽しい楽しい大波を、全身に浴びて来ました。

イスラエルの友人は、Eldad zivといいます。イスラエルでは、彼を知らない人はいないほどの超有名人。芸術家としても有名ですが、劇場デイレクター、テレビ番組のデイレクターとしても活躍。イスラエルの北野たけしになっていました。

話を聞いてみると、ニューヨークのデイスコでのイベント後、共演したイスラエルの人気アーティスト(イスラエルの沢田研二)と仕事をしていったそうです。二人は、幼なじみだったので、ごく自然の流れ。Eldadの人柄が素晴らしいので、自然と輪が広がっていったのです。

当時のニューヨークは、貧乏人でも十分生活できる環境(ただし、危険な場所)があったのです。Eldadは、グリニッジヴィレッジのきれいなアパートに夫婦仲良く暮らしていました。

私は、イーストヴィレッジの2丁目の安いアパート(225ドル・・・2万2500円くらいの感覚です)で、チャイナタウンで仕入れた食材を倹約しながら、生活していました。

今では、イーストヴィレッジが高級住宅地になり、お金持ちしか住めなくなっているそうです。

ニューヨークで感じる風は、特別・・・・Eldadと奥さんのShulei と・・・・

“I miss New York”

を連発していました。

3人で交わした約束・・・・これは、内緒( ^ω^ )

大波

夜行バスで、8時間、京都に着きました。北白川に向かう市バス、いつもなら満員になるのですが、ガラガラです。観光シーズンが終わった束の間の静寂。都市そのものが、この様な人の波を時間とともに、作り出しているのでしょう。

月一回の京都出張は、私の中でも生活の波をいい形で作っています。患者さんにとっても、私の治療院に来院され、生活の波を作っておられるのだと思います。また、カラダの治り方も、アップダウンの波を繰り返しながら、徐々に上向きになっていくパターンが多いようです。

海に生じる波は、主に風が作りあげるそうです。台風が接近した時を想像すれば、強風が大波を作ることは、容易に理解できます。今晩は、これから私に大風が吹き、大波が襲ってきます。20才代の青春ど真ん中の頃出会った友人が、イスラエルからやって来たのです。我々は、ニューヨークのブルックリンミュージアムアートスクールのクラスメート。ニューヨークのデイスコでイベントをした仲間です。彼は、亀を描き続け、イスラエルでは有名な芸術家になりました。

 お互いの息子が、ニューヨークのブルックリンで生活し、お互いが映画関係の仕事をしているのも、不思議な縁です。もしかしたら、二人はもうすでに出会っているかもしれません。今は、彼に会いに行く地下鉄に乗っています・・・・ワクワクの大波が待っています。

空腹健康法(その2)

私は、京都の山奥、美山町に10数年住んでいました。当時は3人の子供と嫁さんも一緒でした。そして、お利口できれいなミミという白ネコが家族の一員。そのミミがある日、テレビの横で、グッタリと横たわり、全く動かなくなりました。

「ミミ、どしたん?」

まじまじと、ミミを見回しました・・・どこか、変?・・・

「ミミ、あんた、その足(左の前足)どしたん?」

左前足がうちわのように腫れ上がり、ピンクで1cmくらいのキズが2本。どうやら、マムシに噛まれたようです。わざわざ、テレビの横に寝込んだのは、家族がいつもテレビを中心に夜はゆっくりするのを、知っていたから・・・・見守ってもらいたかったのでしょう。

2日間ほど、エサも食べず、ただただ横たわっていました。すると、翌日の3日目には起き上がり、何事もなかったかのように生活を始めたのです。この時、「ミミは偉い、カラダの治し方を知っている❗️人間も同じ動物、病気をしたら、何も食べず寝るのが一番。」と肝に命じたものです(最も、人間がマムシに噛まれて、治療を受けなければ、死んでしまいます)。

これが、前回の小冊子「空腹健康法」で述べていたサーチュイン遺伝子の働きによる全身の細胞の活性化です。この小冊子には、もっと怖いことが書かれています。近代栄養学の父、ドイツ生理学者カール・フォン・フォイトの提唱した肉食礼賛理論に振り回されて、アメリカでは急激に生活習慣病が増え続けました。ついには、1977年にアメリカ国民の健康を大変憂いて、「マクバガンレポート」が出される事になったのです。

生活習慣病の原因は、高カロリー、高タンパク、高脂肪、高精白の食事と指摘。病気を避けるためには、これらを取り過ぎない事と結論を出しました。にもかかわらず、アメリカの地方都市は、肥満に溢れています。肥満が普通と思っている人々が多いのに驚きます(2006年ケンタッキー州ルイビルでの3か月滞在)。

しかし、今だにカール・フォン・フォイトの栄養学が、世界中の栄養学の教科書の中枢を占めているそうです。この栄養学を信じ込んだ俳人、正岡子規がその犠牲者。もともと大食漢だった子規は、35才で没する1年前の日記には、毎日食べた物を一つ残さず記録しました。

朝食、昼食、間食、夜食・・・一回の食事で何と4杯のお粥あるいは麦飯を食しておられます。鰹の刺身、なまり節、牛乳等、重病人が、無理矢理食べて、疲れ果てています。弱ったカラダに強制労働。まさに拷問です。

この小冊子には、もっとリアルな事がたくさん載っています。興味ある方は、どうぞ!

search.rakuten.co.jp/search/mall/空腹健康法+真弓定夫/

父親は全て分かっていた

小学校の時から、本が嫌いで、国語の成績が悪かった私。父親が心配をして、少年少女世界の名作文学という分厚い本を買っくれました。例えば「日向が丘の少女」など、

「面白いのう~」

と読んではいくものの・・・・「あ~しんど!」

途中で、外に飛び出して日が暮れるまで遊びました。近所には子供たちが、クモの子を散らした様にあふれかえっていたので、木登り、川遊び、ビー玉、ボール遊び何をしても楽しかったのです・・・・あれから50年以上も経ちましたが、相変わらず本読みが嫌いなままです。それから、子供のころ出来ていた算数が、今では苦手。数字を見ると頭が凍りついてしまいます。

そんな私ですから、文章を書くのが最も苦手。手紙を書くのに半日費やすこともありました。前の嫁が、フリーライターだったため、文章を書けない私に呆れ果てていました。

私の事を一番よく分かっていたのは、父親だったようです。2か月で大学をやめ、アルバイトをしていた私に芸術の道を進めてくれました。また、小学校の時、神経性胃炎だった私を指圧で治してくれたのは、父親でした。その原体験で、私が鍼灸師への道を選んで行ったのです。

こんなに不甲斐ない私ですが、辛抱強く見守ってくれた父親に、感謝しかありません。

「とうちゃん、本当にありがとう。」

私の祖父、佐伯惟揚(これあき)は、背筋を常に伸ばして、颯爽(さっそう)としていました。あれが、生き方なのでしょう。私には出来ません。私は一人でいると、うつむき加減になってしまいます。

祖父は、俳人で180名の弟子を持っていました。そういう立場も姿勢を作り上げるのだと思います。また、書家でもあった祖父は、正しい姿勢から書が生まれる事を知っていたのだと思います。私が小学校3年生くらいだった頃、祖父が参観日に来てくれました。おちょうしものの私は、キョロキョロと落ち着かない様子だったそうです。舞い上がってしまい、左膝をペロペロなめていたそうです。

それ以来、長い物差しを背中に差され、正座で机に向かう練習をさせられました。また、鉛筆の持ち方、箸の持ち方もしつこく注意されました。型から入る日本の習い事は、必要な事だと、今になって感じます。

今、御茶ノ水のソーラーシテイーという高いビルの2階で、山元式新頭鍼療法(YNSA)の中級1セミナーに参加しています。講師の加藤直哉先生が、セミナーの最初にされるのが、全員起立して、両手の甲を腰に当て、スーパーマンのポーズ。

「やれる、できる、大丈夫!」

を、3回叫びます。これが型から入る自己啓蒙。祖父が示していた型の現代版だと思います。もう、すっかりスーパーマンです!

蘇れ生命の力

昨年まで、現役の小児科医として東京の吉祥寺で開業されいた真弓定夫先生(88才)のドキュメンタリー映画「蘇れ生命の力」をみました。真弓先生は、生活習慣のアドバイスをする事で、動物として本来持っている生命力を蘇らせる治療をされています。対処療法である、薬投与や注射はしません。

いずれは、書いていかなければならないテーマ。今回、このドキュメンタリー映画を見て、少しずつ書いてみようと思います。「生き方」です。

私のような、芸術活動中途半端、子供3人育てられなかった鍼灸師が、生き方をいう資格はありません。何一つ成し遂げていない男が、生き方を言えない。

ただ、身近な人で凄い生き様をさらしてくれた人がいたので、その人を語ることから、少しずつ「生き方」を語ってみたいと思います(明治生まれの日本人は、そこかしこに凄い人がいたのです)。

私の祖父、佐伯惟揚(これあき)が死を前にした時、むく~っと渾身の力で起き上がり、親族が見守る中を、最敬礼し一人一人に挨拶をしてくれました。

「じいちゃん~~・・・ありがとう・・・」

「じいちゃん、じいちゃん、じいちゃん!」

あの姿こそ、「生き方」です。あの死に方が「生き方」。

この世に生を受け、死を直前にした時、同じ血を分けあった親族に見守られ、次の世界・・・

じいちゃんは、我々の知らない世界に行く先駆者・・未知の世界を生きることが「生き方」

次回に続く