医者は博物学者であるべき

私は、山元式新頭鍼療法(YNSA)を学び実践して3年。気づいたのは創始者、山元勝敏先生の偉大さです。鍼だけで難病を治しておられます・・・150万人もの患者さんの治療をされておられます。私は67才で、難病の患者さんを治すまでには至っておりません。このままYNSAだけやっていても年齢的な限界があると感じ、血液の浄化と血流を良くする治療法を身につけようと、名古屋の大沼四廊先生のセミナーに参加するようになりました。

そこで知ったのが、大沼先生の師匠、森下敬一先生です。森下敬一先生の血液研究こそ、現代医学に最も必要とされているように思います。そこで、改めて森下敬一先生の生い立ち、生き方をWikipedia から紹介いたします。

『両親は、神奈川県津久井郡藤野町(現・相模原市緑区)出身。

父は医師で、敬一の幼少時は、当時日本の統治下にあった朝鮮において病院を運営していた[3]

尋常高等小学校卒業と同時に、敬一は父から奈良県の天理中学校(現・天理高等学校)への入学を言い渡される。理由は、日本の内地でドイツ語を学べる数少ない中学校で、両親の住居に最も近かったためだろうという。

敬一は「青天の霹靂だった」と言いつつも、この全寮制の5年間の教育が、自身の人格形成に大きく影響したと述べている。

天理第二中学名簿 昭和20年卒業

在籍した天理第二中学校は全寮制の男子校で、学校生活は軍隊生活以上に厳しいスパルタ教育だった。教授陣は極めて優秀であったが、厳しい教育システムゆえに1年生から2年生に上がるときには、脱走や自殺などで半減するのが常だった。しかし、敬一はのちに、天理中学のスパルタ教育が自分を変えたと言い、「男は若いうちに一度は集団生活の中で、厳しい規律を体験するべき」と折に触れては述べていた[3]。

戦後、両親が引き上げて来て故郷の藤野に移り住む。当時の藤野は無医村で、父は農業をしながら患者を診るという半農半医を行い、敬一はそこから大学へ通った。

学生時代はあまり勉強するほうではなかったと言うが、研究室に入ってからはがむしゃらに突き進み、約20年の研究室時代には医学だけでなく、そこに隣接する地質学、生物学など、生命に関わるあらゆる分野を掘り下げていった[3]。

のちに森下は、自然医学の臨床活動において、「医師は博物学者であるべき」と述べている。医学は人間を対象とする学問であり、その生命現象はまさに小宇宙であって、物理化学、生物学はもちろん、環境や歴史、意識の問題と、目に見えない世界をも含めて総合的に捉えなければ、正しい方向性が見出せない[4]。

医療というものは、基礎理論の上に臨床が成り立つという体系でなくてはならない。医学と医療が別物だという現代の風潮は不勉強から来る誤解であって、若いうちに進化論的な発想から土台を築き上げて臨床を行わなければ、「葦の髄から天井を覗く」というような狭い視野となり、医療がバラバラになってしまう。こうした懸念は、近年の代替医療に対しても同様に抱いていた[5]。』

現在の医療は、専門分野に分かれて宇宙としてのカラダを見ていません。そうのようになってはいけない「医師は博物学者であるべき」と常に心がけて真実を探求されたのだと思います。

土壌エネルギー

森下敬一先生が、膨大な時間とお金を掛けて長寿の研究をされ、行き着いた結論を以下に述べられています。

『土壌の生命エネルギーなどということは、それまで全く思いもよらなかった。ただひたすら長寿元素を見つけてやろうと、一生懸命に行っては帰り元素分析を繰り返し、やっと判ったことは、元素ではなくエネルギーだということ。土壌のエネルギー、野菜のエネルギー、それを食べた人間がまた土に戻って生命サイクルを回す。だから、人間があちらこちらに移動したらダメになる。生命サイクルが回っているところで、その一部品として人間がそこに誕生する。すべての生命のサイクルが一体となって、大きく循環している中の一分子として人間が存在する場合においてのみ、人間の天寿である150歳というのが与えられるのだ。

現代の科学や医学が、見えるものだけが実在し、見えないものは存在しないという、ひとつの仮設の上に成り立ったところにそもそも誤りがある。特に生命科学においては、見えるものはほんの氷山の一角であって、水面下の見えないものが大部分だということを前提にして研究を進めるべきである。むしろ本質的な問題は、見えない大部分の側にあり、目に見える氷山の一角だけを研究するのでは行き詰まるのは当然であろう。

コンロン山脈の麓に、森下が長寿の調査で4、5回訪問したホータンという町がある。地元の人たちは、コンロンの山の奥に西王母(せいおうぼ)という350歳くらいの婦人が住んでいると固く信じている。彼女は、手のひらに鳥が運んでくれる量の食べ物しか食べないという。この話は、色々な示唆に富む話であって、手のひらに載る程度の食べ物だけで生きているというのは、腸の造血は殆ど営んでいない。その代わり、宇宙エネルギーをとり込んで、それによって血液を造るという経絡造血が完璧に備わり生きているということだろう。

コンロン山脈の大量の雪解け水は、5月頃にタクラマカン砂漠に土石流のように地響きを鳴らしながら、もの凄い勢いで流れ込むという。そのときにホータンも通っていく。その水が、ありとあらゆるものを全部のみ込んで流れて来る様は、初めに流れて来る先頭の状態を頭にイメージして、中国では龍(ドラゴン)という仮想動物を描いたのではないかといわれるほどである。ホータンのコンロン山脈からの水を調べると、生命エネルギーが猛烈に高い。長寿者が住んでいるところは、やはり違っていると感じさせられる[5]。

ユーラシア大陸を見たときに、大陸の中央部は厳しい自然環境に囲まれ、西洋文明があまり入って来ない。西洋文明はユーラシア大陸辺縁の平野部にあり、文明は大陸の周辺から浸食していく。

いわゆる西洋文明は生態系を破壊する一方通行の文明であり、反生命文明といえる。したがって、欧米の文明があるところに「真の意味の長寿(真正長寿)」は存在しない(平均寿命は「疑似長寿」)。それは、ヨーロッパ、アメリカだけでなく、日本も同様である[9]。』

土壌のエネルギー、コンロン山脈からタクラマカン砂漠までの雪溶け水のエネルギーが、龍の如くエネルギーを運び込む。やはり、龍は存在するようです。日本全体が、龍の形をしており私が生まれた河之内が、やはり龍の形をして地元には雨滝(あまたき)という龍神が住むとされる渓谷があります。干ばつで水が無くなった際の最後の砦(とりで)が、この雨滝。重信川(しげのぶがわ)の河口にある松前町から、海水を桶に入れ頭に乗せた「おたたさん」という女性が、この雨滝まで運び、海水を雨滝に投入。すると、怒った龍が天に舞い上がり、雨をもたらすのです。このような伝説のある河之内では、坂本憲俊さんというお百姓さんが、お米の品評会国際部門で2年連続金賞を獲得されました。坂本さんの絶え間ない研究心、努力はもちろんですが、河之内にある土壌がエネルギーを蓄えている事を証明していると思います。

中学生まで、河之内で暮らしそのエネルギーをいただいたことに感謝いたします。

長寿郷

森下敬一先生は、長寿研究のため、30年間近く50回も調査団を派遣しています。これは、貴重な研究です。西洋医学の悪しき一面が横行している日本医学界。もはや、聴診器で患者さんのカラダさえ診ることをしなくなっています(ここ数十年医者にかかった事がないので、実体は分かりませんが、多くの人々が言っているので)。カラダを診ないでパソコンを見るなんて・・・治療と言えるのでしょうか?西洋医学の限界を知った欧米では、統合医療が進んでいるそうです。当たり前に鍼治療が行われています。

いま一度、森下敬一先生の研究から多くを学びましょう。森下敬一先生は後継者を作りませんでした。しかし、研究結果は書物として残しておられます。これは、人類の宝です。もう古本屋でしか、見つかりません・・・何とかして見つけ出したいものです。

『大学の研究室時代から患者の相談を受け、玄米菜食で多くの患者が改善するのを見てきた森下は、お茶の水クリニックでガンをはじめとする慢性病・難病の患者たちが治癒していくことに対し、その裏付けを取りたいと考えるようになった。森下が実践する自然医食は世界的長寿郷の食形態と矛盾しないはずだと考え、カスピ海と黒海に挟まれたコーカサス山脈の南に位置するグルジア、アルメニア、アゼルバイジャンの3共和国から長寿の調査を始めた。昭和45(1970)年当時、グルジア共和国が世界一の長寿郷だといわれていたためである[9]。

Yノート9:森下博士 研究半生を語る(生命母体は時間である)

コーカサス山脈、パミール高原周辺を中心に、1975年から冬を除いて年に2、3回ずつ毎年出かけて調査を行うが、同じ場所であっても5年置きくらいに何度も行く必要がある。なぜなら、生命母体というのは時間であるから、一定の間隔で縦の時系列で見なければ、本当の長寿の調査にはなり得ない。1回だけの調査を100ヶ国回ったといっても何の意味も無いのである。

1970年代には、シラリ・ムスリモフ、メジードガアガイエフなど150歳はザラにいた。それが、1980年代は140歳、1990年代は130歳と10歳ずつ下がってきて、いま(2004年)は120歳になっている。

当初は、長寿郷の水や食べ物や色々なものを日本に持ち帰り、長寿因子を見つけてやろうと野心に燃えていた。ナトリウム、カリウム、カルシウム、マグネシウム・・・など39項目の元素分析を、ありとあらゆるものを調べ続けたが、それは無かった。元素ではない。

1回の調査団は7、8人から10人、1,000万円ほど掛かったときもあるし、平均して500万円ほどで、50回近く調査に出掛けている。30年近くも掛け長寿の調査を重ねて判ったことは、長寿者というのは殆ど生まれた土地を離れない。それから、自分の家の近くに畑を作り完全な自給自足の生活が多い。金銭で物を買うという発想が無く、買うとしてもスーパーマーケットまで行くのに1‐2日掛かるようなところだから、食べたいものは自分で作る以外にない。

結局、彼らは気がついていなのだけれども、土壌の生命エネルギーを自分たちが栽培した農作物に移行させ、それを、そこに住んでいる一家が食べている。そして、それらがまた土に戻る、という生命サイクルが循環している。土壌の命、植物の命、動物の命、そしてまた土壌へ戻る。このサイクルが循環しているということが、長寿の条件だということを森下は教えられた。』

森下敬一先生、桜沢氏と出会う

 

昭和30年代にニジマスや鶏の白血病を完治させていた森下敬一先生は、桜沢如一氏と出会い、助言をいただきました。その経緯を3回に渡って掲載します。この出会いが長寿研究を加速することになります。

『大学研究室時代の昭和31‐32(1956 - 1957)年ころ、当時「日本が生んだ昭和の怪物」と噂されていた桜沢如一に興味をもち、そのグループの集まりに参加した。

森下は自己紹介を兼ねて研究内容を話したところ、桜沢は「それは歴史的な考え方だ。日本から世界に向けて発信されなければならない、ユニークで革新的な真理だ」と言い、その言葉を聞いた森下は、逆に「この人は凄い人だ」と思った。

森下の腸造血説が初めて新聞に採り上げられたのは昭和32(1957)年5月で、桜沢が記事を目にしたかどうかは微妙なタイミングで、これまで森下の話を理解できる者は殆どいなかったからである[5]。

桜沢は、昭和30年代初期から東京光雲閣において例会を開いており、日本の新しい時代を創ろうというメンバーが集まって熱気にあふれていた。例会には、毎回そうそうたる知識人が集まり、森下は足しげく参加するようになる。そこには、西洋医学を学んだ医師で参加する者は、森下以外に全くいなかった。

当時、森下が座間近くの養鱒所で、自身の研究を基に考えた餌でニジマスの白血病を完治させ、次いで鶏の白血病を完治させて、鶏の血液の状態がどんどん変わっていくことを例会で話した。その数日後に桜沢から電話が入り、夫妻で何度も研究所を訪れるようになった。

鶏の白血病完治について桜沢は「勝因は、ある特定の条件でなく総合的な結果だろう」と述べ、土を調べるよう助言する。森下は使用した腐葉土を調べ、1年がかりで2種類の結晶物質を抽出し、黒い結晶は白血球を減らし、白い結晶は白血球を増やすことを突き止めて、それぞれの化学構造を明らかにした上で桜沢に提出した[8]。』

森下敬一先生が、土を調べることで環境の重要さに気づき始めるようになって行かれます。次回は思いがけないような、展開をご報告します。

 

森下敬一先生、国会へ その6

 

昭和44年、衆議院科学技術振興対策委員会「食品添加物問題」に、森下敬一先生が、学術参考人として証言されています。

『○森下参考人 去る五月の十四日にNHKの「生活の知恵」の番組でいわゆる危険食品をテーマにしで問題が取り上げられたわけであります。私もこのとき、資料提供という形で四、五本血液を持ってまいりました。この血液は、一つは、紅しょうがで血液の水の部分、つまり血漿の部分が赤く染まっている血液であります。もう一つは、ウズラ豆をたくさん食べて、やはり同じように血漿が緑色に染まっている血液でございました。もう一つは、粉末ジュースを飲み過ぎてやはり血漿が黄色くなっている、そういう血液を何本か皆さん方にごらんいただいたわけであります。 

私自身は、日本人の血液がこういうふうに食品添加物によってひどく汚染されているということに十二、三年前に気がつきまして、以来、加工食品をとらないように、自然食品に切りかえるべしということを唱えまして、いわゆる自然食運動を展開してまいったわけであります。現在静かなブームといわれております自然食運動、これはたいへんけっこうなことでありまして、この運動を十数年前から推進してまいりました私どもの立場から申し上げますと、たいへん喜ばしいことだというふうに考えるわけであります。 

しかし、よく考えてみますと、現在一般大衆の中で、こういう形で自然食運動が盛り上がってきているということは、ここまで一般大衆の食生活を追い込んできた国の無為無策という点から考えますと、大いにこれは責められていい問題ではないかというふうに考えております。 

最近のいわゆる有害食品であるとか、あるいはうそつき食品の横行というものは、ほんとうに目に余るものがございます。現在国で許可されております食品添加物は三百五十八種類ばかりございますが、さっき郡司参考人が申しておられましたように、わが国だけで使用が許されているという食品添加物がかなりたくさんございます。外国では毒だと認められていながら、わが国では毒物として取り扱われていないものが相当数あるということにぜひ御注意を願いたいと思います。 

それから、医学的な立場から申し上げますと、こういう食品添加物がわれわれのからだの中で一体どういう働きをなしているか、どれぐらいの量が吸収されて、どれぐらいの量が排せつされるのか、あるいは一つ一つの食品添加物がわれわれのからだの中でまざり合って、複合的にあるいは相乗的な有害作用を発揮するという可能性すらあるわけでありますが、こういう点が現代医学では全く解明されていない、そういう時点において、公然とこういう食品添加物が公認されているというところに私は大きな問題を感ずるわけであります。こういう言い方は少しオーバーかもわかりませんが、私は一億反健康状態を招いた一つの大きな原因は、この食品添加物にあるというふうに考えております。 

たとえば、私どもの一般家庭の食餌の内容をながめてみますと、晩酌の酒の中には、御存じのように、サリチル酸が入っております。ソーセージには着色料であるとか保存料であるとかあるいは増量剤であるとか、あるいはつくだ煮の中には着色料、人工甘味料あるいは保存料、漂白剤、それから、御飯の米には防虫剤が入っている。そして、みそ汁には変色防止剤であるとかあるいは保存料、しょうゆの中にも保存料が入っているというような状態でありまして、少なくとも私どもは一日に大体八十種類から百種類の食品添加物を、これは好むと好まざるとにかかわらず体内に入れているわけであります。これがわれわれのからだに対して全く無影響であるということはとうてい考えられない。因果関係をはっきり証明することはかなりむずかしいにしても、何らかの形でわれわれの健康に対して有害な影響を与えているということは当然想定されるところであります。 

わが国では、この食品添加物の開発は、大体食品工業会社であるとかあるいは製薬会社あたりが開発をいたしまして、そして、政府にその使用の許可を働きかけて認可されるわけであります。ところが、外国の場合には、非常に厳格でございまして、特にドイツあたりでは、食品添加物は国が開発をいたしております。国が食品添加物というものを開発いたしまして、業者に、この添加物はこういう性質のものであるからこういうふうに使用しなさいということで指導をしております。そういうふうに食品添加物の認可の取り扱いにつきましても相当大きな違いがあるわけであります。 

それからもう一つ、わが国の場合には、一たん許可されたものは、有害だということがわかりましてもなかなか使用禁止にならない。一つの例を申し上げますと、たとえばオーラミンという、あの黄色い発ガン色素が長い間使用されておりました。これが有害だということがはっきり証明されましても、使用禁止に至るまでにはかなり長時間を要しておりまして、有害だということがわかっても、なおかつ禁止に踏み切れないというようなところにも、一つわが国の食品衛生行政の何か特徴みたいなものがあるようにうかがわれるわけであります。 

これは事われわれの生命に関する問題でありますから、有害だということがはっきりわかりましたならば、ぜひ英断をもってこれを禁止するという方向、そういう姿勢をとっていただきたいというふうに考えます。 

もっとも、現在、有害食品の取り締まりをきびしくしろというようなことがしきりにいわれるわけでありますが、現在の食品衛生監視員の数というのはたいへん少なくて、この人手では厳重な監視の目はとうてい行き渡りません。 

それともう一つは、現在の食品加工の技術といいますか、これがどんどん前進しておりますのに対して、監督あるいはその指導をする機関の体制というものが旧態依然である。この差は広がる一方でありまして、この辺の問題を国としてもぜひ考えていただかなければならないんではないかというふうに思います。 

さらに、加工食品業者がもうけ主義一点ばりで、不必要な添加物をやたらに使いたがる傾向がございます。食品の見ばえをよくするというような意味で、要らない食品添加物をやたらに使う傾向があります。業者自身に、この食品添加物というものがわれわれの健康に対して有害であるという認識が不足しております。この辺もぜひ国として、業者に対する指導を怠ってはならないのではないかというふうに考えます。 

もう一つ、これは一般消費者にも実は責任の一端がございまして、消費者は王さまといわれますけれども、この王さまはもっと賢くならなければならないというようなことを私ども考えまして、いわゆる啓蒙運動を展開しておるわけであります。国も食品業者も一般消費者も、この際われわれの健康問題あるいは生命問題をもっと最重点的に考えまして、そして、これからの新しい食品衛生の基本的なルールというものをつくっていかなければならない。そういう時点に差しかかっているように思います。疑わしき加工食品を国としてはつくらせてはいけない、また、業者はつくってはいけない、消費者はそれを買ってはいけないというような原則をこれから築き上げていく必要がある。そうしなければ、われわれの健康状態は今後一そうなしくずしにされていく可能性があるという状態でございます。 

私の意見は一応この辺で終わりにいたします。』

50年以上前から、このように食品添加物の制限を訴えておられるのに、全く改善出来ていない日本って・・・・情けない・・・

血液というものは、ある一定量あれば足りる

 

森下敬一先生、国会へ その5

昨日の続きで、、昭和43年3月21日(木曜日)にも国会で齋藤憲三委員が、厚生省国立ガンセンター病院長、塚本憲甫氏に「ガン細胞は分裂増殖しないのかどうか?」尋ねたところからの答弁を記載します。また、塚本憲甫氏が国会で述べられた事と、それに森下敬一先生が反論している答弁を記載します。少し長くなりますが、ゆっくりお読みください。

『024・塚本憲甫

○塚本説明員 私は血液生理の専門家でありませんが、先ほどの血液のことも含めてお答え申し上げますと、われわれは、体細胞が異常な増殖をし、どんどん分裂してできた腫物をガンと言っているのでありますが、ガン細胞が分裂しないということは、根本から反対になっているわけです。

 

030・塚本憲甫

○塚本説明員 これはさいぜん私同じことを申し上げたのでございますが、三宅委員がまだおいでになりませんでしたので……。 

一説によりますと、非常に微量にふえておる放射線というような環境も関係がありはしないかという説もございます。これもはっきりしたことではございません。もちろんそういう意味で、全部いろいろなそういうものを含めた環境的な因子というものを否定できないということが一つ。 

それから、先ほどちょっと申し上げました白血病というものは、わが国は、諸外国に比べますと、ふえたようでもまだぐっと低い状態でありまして、これも説でありますからあまりはっきりしませんけれども、たん白食を多くとると、つまり国民の栄養が上がってくると、むしろ白血病はふえるのだという説もございます。これの真偽も、私は自分で調べたわけでございませんのでわかりませんが、動物実験でそういう結果を、ネズミの白血病について出している学者がございます。

 

028・塚本憲甫

○塚本説明員 いまの小児ガンの問題、そういうことがどういうことからふえてきたかというようなことですが、いろいろ――御説のとおりであります。 

ただ、誤解がございましたようですから、もう一ぺん私から斎藤議員に対してもお答えさせていただきますと、単細胞からガンができるのではなくて、からだのどこかの細胞、体細胞、それが、何の原因かわかりませんけれども、あるときにそういう変な細胞に変わって、どんどん分裂して増殖していくのがガンだということを私はいま申し上げた。これが一つであります。 

それから血液とガンの関係、これは、私は血液の生理学者でございませんから詳しいことは存じませんけれども、放射線でガンをなおすという立場から私たちが従来やってきましたことから申し上げますと、先ほど申し上げましたように、体細胞からできますから、胃からできたガンは、胃の粘膜の構造がどこかに残っているような意味のガンになります。これをわれわれは腺ガンと申しております。皮膚からできたものは、皮膚の構造を残しながら、非常に鬼っ子になって、こういうところにかいようができたりしてまいります。一方、血液の細胞と申しますもの、ことに赤血球と申しますものは、その中に核もございません。核があるなしは、細胞の生き死にということとかなり密接な関係がございます。したがいまして、赤血球の、最後にからだを回っておりますときの役目は、肺に行って酸素と炭酸ガスを交換するに必要なヘモグロビンというものを持ってからだを回って歩いておるわけでございます。オルソドックスな説必ずしも正しくはないかもしれませんけれども、われわれが食べましたものから血となり、肉となる、これはある意味で真理だと思います。しかし、血液というものは、そういう赤血球のほかに血奨というものがあって、それで栄養を方々へ送っておるわけでございます。その血奨は、確かに腸管から取り入れた養分を運んで適当なところへ持っていっております。そういう意味で、そういう死んだ細胞が、どういうことか知りませんが、お考えは自由でございますけれども、それがガンのもとをなし、また、それが血液に返っていくというような考え方というものは、われわれの医学常識ではちょっと考えられない。ですから、それは実験をしてくださるとおっしゃれば、そういう場面もあっていいかと思いますけれども、少なくともガンというものはどういうものか、そしてそれは、確かに、いまおっしゃったように、大家である先生が見ても見つからない。これは幾らもあることで、われわれも大いに反省して、大いに努力をして、もっと勉強しなければいけないと思っておりますが、そういう研究としてまだまだわれわれが取り上げなければならないたくさんの問題がありますし、そういう意味も含めて根本の問題も考えていただくということはたいへんけっこうだと私は思います。ただ、いままでの学説が非常におかしくて、新しい説がぽんと出てくれば、それをなぜ取り上げないかという、それだけの議論というものは、いろいろな立場から考えがあると思うのです。 

問題は、そういう意味で、私たちも大いに勉強はしてまいりますけれども、もう一つ重大な問題は、骨髄ではなくて腸から血液ができる。それは少なくとも私たちが習い――これは何も、外国のまねをしているとか、そういう意味じゃございません。胎生期には、血液というものは方々でできてきます。子供のときはまだ長骨でもできます。しかし、おとなになりますと、血液というものは、ある一定の量があれば足りるものですから、それで、血液をつくっているのはおもに、背骨にある短い骨の骨髄でありまして、そこを取って細胞を見ますと、血液の最小のものであるような非常に未熟な細胞から順序を追って最後の血液までの細胞が発見されます。そういうことが、われわれが血液が骨髄でできているという説を支持しておることのおもな原因だというふうに御了解いただきたいと思います。

 

033・森下敬一

○森下参考人 いまおっしゃられましたように、大気汚染であるとか、あるいは排気ガス、ばい煙というようなものが肺ガンの原因になっているであろうということは、十分に想像されるところであると思います。私が調査した範囲では、去年上野動物園の動物が四十何匹か、これはいろいろの種類の動物でありますが、肺ガンだけではありませんが、ガン性の病気で死んでいるということであります。もちろん、こういう動物は別にたばこを吸っているわけではございませんが、実際に肺ガンで死んでいる。その原因は那辺にあるのかということでありますけれども、やはり一番大きな問題は、彼らが自然な環境から離れて人間がこしらえた不自然な食べものをあてがわれながら、しかも、こういう不自然な大気汚染の中で生活を強制されているというところにあると思います。したがいまして、動物の文明病といいますのは、これはガンだけではございません。たとえば、豚がコレラにかかるとか、あるいは牛が結核にかかるとか、あるいは動物園などではキリンが胃かいようで死んだりカバが糖尿病で死んだり、犬がノイローゼぎみであったりというように、人間社会の中でいろいろな病気を起こして死んでいっている、その動物たちの文明病の起源というものが人間の文明病の起源でもあるというふうに考えるべきだと思います。そういう広い立場に立って私たちは、特にガンだけをということではなくて、文明病対策というものはもっと大きな立場でわれわれ考える必要があるのではないかというようなことをいままで唱えてまいったわけであります。たとえば、栄養問題もそうであります。現在唱えられておる栄養学に対しましては、私自身非常に大きな間違いがあるということを長年唱えてまいりました。そのほかにも、いろいろ問題があるわけでありますが、とにかく、もっと巨視的に、大きな観点というものを踏んまえて、そうして、こういう病気の対策というものを考えていかなければ、コップの中の小さな思索では問題は解決しないというような気がいたします。 

それから、ついでにここで私、はっきり申し上げておきたいと思いますことは、ただいま塚本先生が血液の問題についていろいろ意見をお述べになっていらっしゃいました。これは全くそのとおりであります。現代医学のピークに立っておられる先生でありますから、既成概念の頂点に立っていらっしゃる方でありますから、既成概念を否定するということは、とりもなおさず、御自分の存在を否定するということにもつながるわけでありまして、それはとうてい私はできないことだと思います。しかし、たとえば、いま塚本先生がおっしゃられた考え方の中に、赤血球が成熟その極限に到達した細胞である、これは現在の血液学の定説でありますが、この考え方が私はそもそも間違いである。私の考え方では、食べものが材料になって腸でつくられた細胞でありますから、きわめて原始的な細胞であります。しかるがゆえに赤血球の中には何十種類もの酵素があり、しかも、エネルギーがプールされている。最近これはわかった事柄であります。いままでは極端に成熟をした、老いぼれの、死の一歩手前の細胞であるという考え方で赤血球を見ていたわけでありますが、その考え方にそもそも大きな間違いがあると思います。最近の生化学の進歩は、赤血球の中の無数の酵素が含まれている、あるいは、エネルギーがちゃんとプールされていて、死ぬまぎわの細胞がなぜそういうものを持っているのか、いまの医学的な常識では説明がつかないという段階であります。そういうことから考えましても、もう根本的にやはり考え方の土台が違っているというような気がいたします。 

それからガン細胞の分裂についてであります。いま塚本先生がおっしゃいましたように、ガン細胞というものは、体細胞が突然変異を起こして異常な細胞になって、その細胞が無限に分裂増殖をする細胞であるというふうに説明をされました。これは現在のガンに関する定義であります。世界の学者が、ガンとはそういう病気であるというふうに信じております。そういう意味ではもちろん間違いのない考え方でありますが、しかし私の立場から申し上げますと、そういうことももちろん承知の上で、からだの中にあるガン組織というものは、私は分裂増殖をしておらないというふうに見ております。しかし、実際にガン細胞の分裂がきれいに映画の中にとらえられたりしております。東京シネマでつくられましたガン細胞に関する映画などを見ますと、ガン細胞の分裂というものは実にみごとにとらえられております。が、それはそういう特殊なガン細胞が示す行動であって、すべてのガンがそういうふうに体内で分裂増殖をしているのではないと思います。もしガン細胞がほんとうに分裂増殖をしているのであれば、たとえば、現在がんセンターで入院あるいは手術をされたガンの患者さんのその組織の一片を持ってきて、そして顕微鏡の下でガン細胞の分裂というものは観察されてしかるべきであります。しかし、そういう観察がなされたという報告は、私は一例も聞いておりません。実際に手術をして、ガンの組織というものは幾らでも、いつでも、随意にわれわれは取り出すことができるわけでありますから、そういうガン細胞が分裂増殖をしているかどうかということは、確かめようと思えばいつでも確かめられるはずであります。そういう実際のガンの組織というものを取り出して、そして、顕微鏡の下でそれを観察した学者というものは、私はいないと思います。実際には、われわれのからだの中では、定説はガン細胞の分裂ということでありますけれども、赤血球がガン細胞に変わっていることは、ほぼ間違いのない事実だと私は確信いたします。実際に、最近フランスでも、ガン研究の権威であるアルぺルン教授が、ガン細胞というものが分裂しているかどうかということについては、これは詳しく触れておりませんけれども、小さなガンの種になる細胞が寄り集まって、そうして一個の典型的なガン細胞に発展をしていくのだという説を唱えまして、そういう報道がヨーロッパではなされております。そういうことを見ましても、分裂増殖だけではなさそうである。分裂増殖一辺倒ではいけないのではないか。たとえば、現在のガンの治療薬にいたしましても、ガン細胞は分裂増殖をするから、その分裂を抑制するような化学物質であればガンはなおるであろうというふうに、きわめて単純に、機械的に考えてその開発が進められているわけでありますが、こういう考え方のもとでは、私は幾ら研究費をつぎ込んでもしかるべき抗ガン剤というものはできないというふうに見ております。また、いままで長年私はそういう考え方を講演会で述べたり、あるいは私の著書の中ではっきりと明記いたしております。 

ガン細胞が赤血球からできるということにつきましては、私が八年前に書きました「血球の起原」という本の中でそれをはっきり述べております。たとえば、吉田肉腫の場合でありますが、あの吉田肉腫の細胞というものは、実際にはほとんど分裂増殖をしておりません。種を動物の腹腔の中に植えつけますと、まず必ず腹膜に出血性の炎症が起こってまいります。そして、腹腔の中にまず血液が浸出する、赤血球が腹水の中にたくさんまざり始めるということを前提にして、初めてガン細胞はふえるのであります。吉田肉腫の細胞というものは増殖していっております。その過程を、私は八年前に書いた私の本の中ではっきり指摘いたしております。吉田肉腫の増殖というものも、私は、腹膜の炎症が起こらなければ、腹膜の炎症を起こさないように処置してこの吉田肉腫の種を植えつけたのでは、絶対にこの肉腫細胞は増殖をしないであろうというふうに想像いたしております。炎症というものが背景にあって、血液が腹水の中に出てくるということが前提条件である、そうしなければガン細胞はできない、その赤血球がお互いに融合し合いまして、そうして一つのガン細胞に発展をしていくということであります。 

また、実際にこの吉田肉腫の細胞を観察してみますと、形がまちまちであります。もし一定の分裂方式で細胞が増殖していくのであれば、ほとんどきまった形の細胞ができなければならないのに、増殖している細胞は全く千差万別であるということも、でき方が単に分裂増殖ではないということを物語っているように思われます。 

それから、話はだいぶ前にさかのぼりますが、さっき斎藤議員が申しておられました無菌的な血液を培養して、そうして点状の小さなバクテリアが発生をし、これが球菌になり、桿菌に発展をしていくことが実際にあるのかどうか、これは国の機関でひとつはっきりさせろということを申しておられましたが、この問題につきましては、私自身すでに、SICの牛山氏とは全然別個に実験を行なっております。私はSICの問題とは一切無関係に、血液というものは無菌的な条件のもとで、試験管の中で放置しておけば、一体最後にはどういうふうに変わってしまうものであろうかというようなことを追求する目的で、大学時代に大ぜいの研究員を使いまして、こまかく探索をいたしました。その結果は、この八年前に書きました「血球の起原」という本の一〇〇ページ、それから今度出しました「血液とガン」という本の一五ぺ-ジに、その写真も掲載をいたしまして、その結論を披瀝いたしておりますが、これは無菌的な血液であっても、血漿の中に、これは実は赤血球の中にそういう点状のバクテリア様のものが発生をいたしまして、これがだんだん発育をいたしまして、そうして球菌になり、かつ、桿菌にまで発展をするという事実を私は認めております。 

この問題は、国家の機関で追求せよということでありますけれども、私はその必要はほとんどないのではないかというような、むしろ逆の考え方をしております。といいますのは、はっきりとそういうふうになるのでありまして、牛山氏が無菌的に血液を培養して、ああいう桿菌様のものが得られたというその事実に対しましては、私は絶対に間違いがなかったというふうに判定できると思います。 

ただ、そういう桿菌様のものを材料にしてつくられたSICという化学物質がガンにきくかどうかということは、私は臨床医でありませんので、これは全くわかりません。そういうことをこの際つけ加えておきたいと思います。』

 

 

厚生省国立ガンセンター病院長が、本気で「子供のときはまだ長骨でもできます。しかし、おとなになりますと、血液というものは、ある一定の量があれば足りるものですから、それで、血液をつくっているのはおもに、背骨にある短い骨の骨髄でありまして、そこを取って細胞を見ますと、血液の最小のものであるような非常に未熟な細胞から順序を追って最後の血液までの細胞が発見されます。そういうことが、われわれが血液が骨髄でできているという説を支持しておることのおもな原因だというふうに御了解いただきたいと思います。」と、思っておられます。血液というものはある一定の量があれば足りるものだそうです。こんなバカなことありますか?よくもまあ国会で発言出来ますね。血液が最も大切なもので、常に新鮮な質の良いものでないといけません・・・それを、一定の量があれば足りるといえる・・・そして、最も大切な酸素を運ぶ赤血球は、核がないので最も古い細胞と、未だに見なしておられます。血管を流れる赤血球(約96%)が、最も古い細胞なら我々生き物は、元気に生きられるはずがありません。また、血液を濾(こ)して1日1500mlの尿が排出されます。その量を脊柱の骨髄から、毎日作り出されると、本気で考えているのでしょうか?正に天動説!

森下敬一先生、国会へ その4

森下敬一先生、国会へ その4

森下敬一先生は、昭和43年3月21日(木曜日)にも国会で証言されています。今回は齋藤憲三委員が、前回(昭和41年)の森下敬一先生の発言を受け、大問題を提言されているのにも関わらず、腸造血説と骨髄造血説の討論がなされてないので、厚生省国立ガンセンター病院長、塚本憲甫氏に参加してもらい討論の場をくださいました。そこでのやりとりの一部を掲載します。

『○齋藤(憲)委員 そうすると、骨髄は血をつくるのだ、従来はこの学説によって医学の根本的な考え方がきまっておる、こういうことですか。――そうすると、生物が生命を保持していく上において、特に動物世界において、血液によって細胞が全部培養されていく、その血液が腸でできるのだという説と、骨髄でできるのだという説とが分離しておっては、そこから一切の医学的な考え方というものは違っていくんじゃないかと思うのですが、それはどうですか。それじゃ、そこからいろいろな医学的な考え方というものは違っていくのですか。

発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105803913X00619680321/21

022・森下敬一

○森下参考人 私たちの新しい血液理論によりますと、食べ物が腸の粘膜で赤血球という細胞に変わりまして、この赤血球がからだの中を循環いたしまして、すべての体細胞に変わっていっております。肝臓の細胞も、ひ臓の細胞も、あるいは皮下脂肪であるとか、骨髄脂肪であるとか、あるいは筋肉の組織もまた赤血球からつくられているのでありまして、言いかえますならば、食べ物は血になり、そして血は肉になるという東洋古来の考え方に逢着するわけであります。こういう理念というものが現代医学あるいは生命科学の中に存在しておらないということが、数々の問題を引き起こしている根本的な原因である。現在ガンをはじめとして文明病というものが盛んに広がりつつありますけれども、こういう病気がなぜ起こるのか、あるいは、それに対する対策というものがなぜできないのかということをいろいろ突き詰めてまいりますと、食べものが血になり、血が肉に変わっていっている。そして、この血液と体細胞との間に可逆的な関係がある。血が肉になったり肉が血になったりというような、そういうダイナミックなものの考え方が存在しておらないというところにほんとうの原因があるというふうに私は考えております。 

であるがゆえに、われわれの血液理論というものが、文明病対策の根本理念として取り上げられなければならないであろうし、あるいはわれわれが健康長寿を保つというような意味でも、こういう考え方をぜひとも理解する必要があるということを約十年来私たち提唱してまいったわけであります。

発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105803913X00619680321/22

023・齋藤憲三

○齋藤(憲)委員 そうすると、いまのお話によりますれば、食べた食物は腸の粘膜を通して赤血球になる、そして、あらゆる組織をつくっていく。が、しかし、場合によっては、その赤血球によってつくられたあらゆる体内の組織というものは、可逆作用によってまた血に戻り得る、その血に戻り得るときに骨髄の作用を必要とするんだということですね、ここに書いてあることは。まあそれに対してはさらに、現代の医学からいきますと大いに反論があると思います。これは根本的な問題でありますから。その反論を承っておりますと時間がありませんから、いずれこの次にその反論を承りたいと思います。これは重大問題です。 

それからもう一つ。ここに、ガン細胞は分裂増殖しない、これは赤血球がガン細胞に変わるんだ、赤血球が常に何らかの作用によってガン細胞に変わっていくんだから、それは分裂しないし、増殖しない。これはたいへんなんです。私がいままで読んだ――私のところにも、興味を持って何十冊というガンの本がある。が、しかし、その中の大半は、ガン細胞の分裂増殖、きわめて急速なガン細胞の分裂増殖と書いてあるんですがね。ここなんです。それを、どうしてこういう大きな新しい――正しい説であるかどうかはわからぬとしても、いやしくも医学博士の学位を持ち、そうして、赤十字の血液センターの所長をしておる地位にあって、どういうことで参考人としてこの委員会に呼ばれたのか、その当時のことはよくわかりませんけれども、とにかく、その当時の委員及び委最長のいろいろな相談の結果、適当であるとして呼ばれたんだろうと思うのです。ここでこういう陳述をしておるのです。ガン細胞は分裂増殖しない。これはたいへんなことですよ。もしガン細胞が分裂増殖しないということが正しいとしたら、いままでのガンに対するいろいろな説というものは全部間違いだということなんです。私の知っている限りでは全部間違いだということになる。どうですか、これは、病院長。』

と、昭和41年に行われた委員会に出席していなかった齋藤委員が、「ガン細胞は分裂増殖しない」説に驚き、厚生省国立ガンセンター病院長、塚本憲甫氏に質問します。次回には、病院長と森下敬一先生とのやりとりを掲載します。

森下敬一先生、国会へ その3

昨日に続き昭和41年4月7日(木曜日)の国会で、森下敬一先生が参考人として述べられたお言葉を記載します・・・・・その前に、森下敬一先生は、つい最近までお元気で研究され、研究先で亡くなられたそうです(享年91才)。見習うべき生き方です。今後、森下敬一先生の研究を出来る範囲で、勉強するつもりです。下記は、ガンの治療方法です。

『そのためには、一つの方法としましてやはり絶食あるいは食餌療法――現在の栄養概念というのはたいへん混乱をいたしておりまして、先ほど申し上げましたように、食べものが血になり、血がわれわれの体細胞に変わっていくわけですから、われわれは何を食べてもいいということでは決してございません。われわれの体質を決定するものは食物の質であるわけですから、食べものの質は厳に吟味しなければいけない。にもかかわらず、何を食べてもよろしいという考え方が現在一般に広げられているわけでございますが、そういうことではなくて、人間本来の食べものに切りかえるべきである。人間というのは元来草食動物でございまして、草を食べる動物でありますから、植物性のものに食べものを切りかえる必要がある。それから絶食療法を試みるというようなことでガン細胞を赤血球に逆戻りさせることは理論的にも、そして実際的にも可能であります。そのほか、理学的な療法といたしまして、たとえば静電気による療法であるとか、あるいはオゾン療法であるとか――この静電気並びにオゾン療法というのは血をきれいにする、浄血する作用を持っておりまして、こういう方法が試みられなければならないのではないかと思います。

先ほどから申し上げておりますように、ガンという病気は決して局所病ではございませんで、体質もしくは血液の質が悪くなったために起こる病気でございます。全身病でありまして、局所を切りとったからそれでなおるというような考え方は私は賛成できません。あくまでも全身病として血をきれいにしていくという立場でガン対策というものを考えていかなければいけない。ガンだけではなくて、現在文明病としましてたくさんの病気が多発いたしておりますけれども、こういうもろもろの病気をなくすために、先ほどから再三申し上げておりますように、食べものが血になり、血が体細胞に変わっていく、そういう考え方を土台にして血液を浄化していくということが非常に大事なことである、これはガン対策にも通ずる基本的なものの考え方であらねばならないということでございます。』

森下敬一先生、国会へ その2

 

昭和41年4月7日(木曜日)に森下敬一先生が、東京都赤十字血液センター技術部長の折、参考人として国会で述べられた言葉を、昨日から続けてご紹介します。

『私たちは新しい血液理論をすでに十年ほど前から提唱しておりますが、ガン細胞は赤血球からできるという理論は、私自身が五年前に書きました血球の起源という本の中にはっきり明記しております。昨年の七月にフランスの一流のガン研究者であるアルペルン教授が、これはオリジナルを私読んだのではございませんので、はっきり申し上げられませんが、マッチというフランス第一流の自然科学雑誌の中にガン細胞の増殖のしかたはどうも従来の考え方ではいけないらしいということで、どうももっと小さな血球様の細胞がお互いに融合し合って、そうしてガン細胞に変化をしているのではないかというような、私の考え方にたいへん近い理論を去年提唱しております。このオリジナルをぜひ私も検討したいと思っているわけですが、そういう考え方が出てきているように、ガン細胞というものは体内では決して分裂増殖をしておらないということを、私は確信を持って言えると思います。ぜひガン研究者にはこの点を既成概念にとらわれないで事実に忠実にひとつ御検討を願いまして、ぜひ再検討を試みられるようお願い申し上げたいと思います。

このガン細胞というものが分裂増殖しないということになりますと、当然治療対策は変わってまいります。現在は分裂増殖しているのだということで治療対策が立てられているわけですが、私はそうでないという考え方でございまして、もしそうでないということになりますと、当然治療対策は全面的に変えられなければならぬということになってまいります。ガンの治療対策としまして最も基本的なことは、先ほど申し上げましたように、ガン細胞は赤血球からつくられているわけでありますから、分裂増殖する細胞を撲滅するのではなくて――ガン細胞を撲滅しようという思想でつくられた治療法は全部だめであります。ガン細胞をつぶそうという考え方では――ガン細胞というものは、決してわれわれのからだの中で遊離している状態ではございません。ほかのからだの部分と完全に交通をしているわけでございますから、ガン細胞をつぶそうという考え方でつくられた化学薬品もしくは放射線というようなものは、必ず他の部分にも同じような打撃を与えるということを考えなければいけないわけです。したがいまして、こういう考え方のもとでつくられた療法というものは本筋ではないということになります。

残念ながら現在行なわれている療法の大部分がそれでございまして、そろいうことではなくて、ガンをなおすためにはガン細胞を赤血球に逆戻りさせればよろしいということになります。赤血球とそれから体細胞、ガン細胞もそうでありますが、すべて可逆的な関係がございます。からだのコンディションいかんによって赤血球がガン細胞、体細胞に変わっていったり、あるいは体細胞が赤血球に逆戻りをしたりという可逆的な関係があるわけですから、ガン細胞を赤血球に逆戻りさせる方法を試みればよろしいということになります。』

ガン細胞を赤血球に逆戻りさせる方法を明日のフェイスブックに記載します。森下敬一先生がウサギを餓死させ、腸壁と肝臓の状態を調べると細胞質が抜けてしまい、細胞膜だけになっていたという事実を何十匹のウサギで確認されています。これは、細胞質が赤血球に戻っていることを意味しています。森下先生は、餓死する1~2日前にウサギを調べると、細胞の周りには、細胞から出て来た細胞質が変化したと思われる赤血球、白血球が見られたそうです。

このように、けなげにも酸素の運搬を維持するため、赤血球の量を一定に保とうとウサギのカラダが変化していったのです。この可逆性こそが生命力です。

森下敬一先生、国会へ

 

今日来院されたお二人の患者さんは、私が名古屋の大沼四廊先生主催のナチュラルメデイスンで知り合った方の関係者でした。そこで、大沼四廊先生の師匠である森下敬一先生の話をすることにしたのです。下記のことを以前の投稿でしたのですが、この事を紹介しました。

『昭和22(1947)年、終戦後の食糧難の時代に、軍が池を遊ばせるのはもったいないので食用ガエルを養殖して食料の足しにしようと、新宿御苑をカエルの養殖池にした。それを耳にした当時学生の森下は、カエルを獲りに行ったところ、まだオタマジャクシだった。ウナギの頭に尻尾をつけたような大きなオタマジャクシで、これは食べられそうにないと思ったが、せっかく来たのだからと4、5匹持ち帰った。

そのオタマジャクシは背中は真っ黒なのに裏返してみると白く透明で、体の割に大きな心臓がピクピク動いている。心臓に針を刺すと僅かな血液が注射筒に入ってきて、その血液をスライドに載せて観察したら、大きな堂々たる赤血球だった。

手足の無いオタマジャクシの心臓には、すでに成長したカエルと同じ血液が循環していて、当然それが造られる場所は何処かということになる。心臓がピクピク動いているすぐ下に、腸がきれいに渦を巻いて、蚊取り線香のようなスパイラルがあるだけで他には何も見当たらなかった。そのときに、赤血球を造っているのは間違いなく腸だなぁと、直観的に思った。これが、森下が腸造血説に至るきっかけだった。』

手と足がないオタマジャクシには骨髄がありません・・・にも関わらず今だに、骨髄造血説がまかり通っています。何でこの事に人々は気付かないのでしょうか・・昭和41年に、森下敬一先生が国会で参考人として証言されている文献がありますので、一部をご紹介します。

『私たちの新しい血液理論というのは、われわれのからだの中を流れている赤血球という細胞が腸でつくられ、腸でつくられましたこの赤血球がからだの中を循環いたしまして、そしてからだの中のすべての組織細胞に変わっていくということであります。皮下脂肪組織も、それから肝臓の細胞も、あるいは骨髄の細胞も全部赤血球からつくられております。この腸でつくられる赤血球の素材は食べものでありまして、簡単に俗っぽい表現のしかたをしますと、食は血になり、血は肉になるという考え方であります。この食は血になり、血は肉になっていくという考え方がいまの医学理念の中に存在をしておらないということが、現代医学をして一つの壁にぶつからしめている非常に大きな原因であるという考え方を持っております。

この赤血球とからだの細胞との間には可逆的な関係がございまして、生理的な条件下では赤血球がからだの細胞に変わってまいりますが、病的な状態では体細胞から赤血球に逆戻りをするというような可逆的な変化というものが実は存在しております。こういう、食べものがわれわれのからだの中を流れている血液に変わり、この血液がからだの細胞に変わっていっておる。しかもコンディションのいかんによっては赤血球と体細胞との間に可逆的な関係が存在しているというたいへん大事な事実がいまの医学の基礎知識の中に存在をしておらないということが、実はこれはガン問題にも関係いたしております。

といいますのは、結論的なことを先に申し上げますと、ガン細胞というものは、からだの中では細胞分裂増殖をいたしておらないという考え方を私たちは持っております。ガン細胞というものは分裂増殖をするというのが、いまのガン学者たちが信じておられる定説でございますけれども、われわれの体内のガン組織というものは、これは決して分裂増殖をしておらない。では、なぜガン組織が増殖をし、大きくなっていくかといいますと、これはからだの中のすべての組織細胞が赤血球からつくられているのと全く同じように、赤血球がガン細胞に変わっていっております。赤血球もしくは白血球がガン細胞に変化をしまして、そうしてガンが増殖をしていく、こういうたいへん大事な基礎知識がいまのガン研究の中に存在をしておらないということが、ガン研究を本筋に乗っけておらない真の理由であるという考え方を持っているわけです。』

この答弁後、数名のガンの専門医証言がありましたが、森下敬一先生の説明を取り上げられなかったようです・・・