東海大相模優勝

東海大相模高校VS明豊高校の選抜野球選手権決勝。行き詰まる熱戦でしたが、東海大相模高校の9回サヨナラ勝ち3対2で終了しました。コロナ禍でいつもの練習が出来ない中、両チームともノーエラーとは、本当に素晴らしい!

この1年間は、スポーツ観戦があまり出来ない中、久々にいいものを見ることが出来ました。ただ、応援していた明豊高校が敗れたのは、残念でした。昭和42年吉良投手擁(よう)する津久見高校が優勝して以来の優勝を期待していたのですが・・・・気が沈みます。

そういう時、外に出て草引きをすると気が晴れてきます。でも、部屋に戻ると元に戻ります・・・・こういう時は、ベースギターの練習。結構いい感じです・・・・もう少し良くしようと思うと、畳に寝っ転がって、カラダとの対話。治療の合間には、しょっちゅうこの対話を行います。具体的には、YouTubeで色々紹介していますので、興味ある方はご覧ください。

東海大のユニフォームを見ると、大学時代の苦い思い出が蘇(よみがえ)って来ます。私が野球部に在籍していた頃は、東京教育大から筑波大へと移行する時期。1〜2年時が東京教育大、3〜4年時が筑波大でした。東海大が所属している首都大学リーグに我々も所属しており、1部にいる時は東海大と戦います。

筑波大3年の時、戦った記憶があります。当時のエースピッチャーは、のちに大洋ホエールズのエースとして活躍した遠藤一彦さんですが、我々との試合では、投げてくれませんでした。それでも、3投手が3回ずつ投げて、ノーヒットノーランを喫しました。力の差をつくづく感じました。そして、巨人監督の原辰徳さんが打席に立った時のオーラの凄さに守っていて、

『お願いだから、ここ(3塁)には、打たんといてくれ!』

と怖気(おじけ)づいた事を、鮮明に覚えています。3塁まで来た原辰徳さんのカッコ良さに敵ながら惚れ惚れしてしまいました・・・・これでは、野球になりません。ただ、一流選手がどれほど凄いのかを知っただけでも、ありがたい事だと思います。

最高の音響空間は、無垢材で!

結構大きいキーボードが加わり、当院は鍼灸院→音楽練習場状態。当院の前に、狭い道路があり離合がスレスレ。その道路を挟んで、広い駐車場があるため結構大きな音をだしても、近所迷惑になりません。また、2階には私の生活空間があるだけなので、ここの住人(3階のビルで3世帯)にも迷惑をかけることもありません。また、当院は障子とガラス戸の二重ドアなので、かなり防音出来ます。それだけではなく、当院の無垢材(むくざい)空間は、くつろいだ癒しの空間としても、良いようです。インターネットからの引用文を紹介します。

 

『名器と呼ばれる楽器や有名な劇場、コンサートホールなど、音の響きに気を使うものや場所には無垢の木が多く用いられています。 それは、高音・中音・低音をバランスよく吸収して、ほどよい残響音を残すという、無垢の木ならではの特性を利用したもの。つまり、 音を聴きやすく、まろやかに、自然体に演出しようとするためです。

一般の家庭でも無垢の木の内装材にすれば、その効果を十分に体験できます。くつろいだ雰囲気での家族との会話やステレオなども 心地よく聞こえ、音に対するストレスを和らげてくれます。大切なのは、吸音と反射の自然なバランス。コンクリートや金属のような 固い材料は音を反射しやすく、一度でた音が壁や天井にぶつかってはね返りながらいつまでも残り、小さな音でも残響となって”うるさい” と感じる音になります。』

なるほど!

モモ(メス猫生後6ヶ月)のその後

 

昼間、モモは相変わらず居心地のいい、キャリーボックスから出ることなく過ごしているようです。私は仕事の関係上、一階の治療室にいることの方が多いので、昼間の様子をしっかり把握してはいないのですが、キャリーボックスでゆっくりしていると思います。夜、私が寝ようと思っている頃、突然キャリーボックスから出てきて、おすまし姿でぴょんぴょん歩いて、直ぐに戻るという奇妙な行動が1度ありました。

「ねえ、ねえ私を見てよ・・・・可愛いでしょ?」

って、言っていました。多分、私が寝たあと、部屋を冒険し遊んでいるのだと思います。

今朝は、モモトイレを掃除して、新しい砂を入れてあげると、早速、ウンチをしてくれました。ウンチを私の前でするということは、ある程度信頼しているという表現行動なのだと、解釈しています。少し前進したように思います。

まあ焦らず、ボチボチです!

あじさいの杜音楽練習場

本日は、あじさいの杜鍼灸院が、「あじさいの杜音楽練習場」となりました。YouTube を制作し残った時間で練習。とにかく、全くのど素人が突然始めたのですから、周りの方々は、大変だと思いますが、みんな優しいので楽しくやれています。天井、壁、床全て松と杉材なので、音の響きが良いそうです。まるで、音楽練習のために出来たような空間とも、言えなくもないです。

開院当初は、患者着に着替えてもらうための部屋が、徐々に音楽関係の機材で埋もれていきそうです。次回は、キーボードが入ります・・・・そのうち、数名集めてミニコンサートが出来るかもしれません。これは、全く予期せぬ方向、だから人生は楽しいのです。

私のギターの師匠が、あの寺内タケシのお弟子さん。そこで、寺内タケシのYouTubeをよく見るのですが、寺内タケシが5才の時、お母さんの三味線の音に負けないように、エレキギターを作ったという事実が衝撃的でした。エレキギターの元祖が、寺内タケシであることさえ全く知りませんでした。ということは、寺内タケシがビートルズ、ベンチャーズに影響を与えたのです。

ビートルズの日本公演の前座を務めたのが、ドリフターズであることは知られていますが、それを設定したのは、寺内タケシだったのです。と言うことは、私は寺内タケシの孫弟子!

明日から、しっかり練習しようと思います。

ベースギター

 

患者さんから頂いた野菜とお惣菜。私が、野菜好きで冬場は全く日が当たらない畑持ちなのを、知っている患者さんは、週に1~3回野菜を届けてくれます。ご主人が定年退職後、無農薬菜園をされており、お二人では食べ切れないので、頂いています。本当にありがたいことです。

時に、私が酒好きなのをご存知なので、お酒をいただくこともあります。何と幸せなことか!

私は、今年で67才になるのですが、縁(えん)あって何故かベースギターを弾き始めました・・・・音楽は全く苦手・・・・というか・・・やってない・・・ところが、少し出来るようになると、面白くなってきました。脳の活性化にもいいと思って、少しずつ練習しています。

治療室が隣近所から離れているので、エレキギターの練習をしても、迷惑をかけることはありません。バンドのメンバーが当院に集合して「あじさいの杜音楽練習場」となっても問題ありません。私は初心者ですが、誰しも初心者体験します。その体験を楽しくやれば、継続出来ると思います。幸い、私のギターの師匠は、エレキギターを考案した寺内タケシさんのお弟子さんです。楽しくやってます❣️

白石の鼻巨石群

白石の鼻巨石群の龍を見てきました。幸い、良い天気に恵まれて5つの大きな石の隙間から、沈む夕陽の光がオレンジ色の龍となり海面を踊っていました。古代人が時を計(はか)る巨大モニュメントをどの様にして作り上げたのか・・・・・全く想像できません。

古代には、我々の想像を絶する高度な文明があったのかもしれません。そして、龍が存在していたのかもしれません。龍にまつわる伝説は、世界各国にありますが、私の実家がある東温市の雨滝(あまたき)という渓谷にも龍伝説があります。

龍は、誰の心にも存在する母なる海からの神の化身。人類が存在する以前に存在していた恐竜が絶滅することになった隕石(いんせき)に対する怨念が龍となってさまよっているのか・・・・

などと、想像に駆(か)られる日になりました。

先輩の差し入れ

 

 

高校時代の野球部先輩が、お酒を持って来院されました。私が1年生の時の3年生で、小さな大投手でした。県大会ベスト4までの立役者。私は、その時まだ柔道部に所属していたので、実際には、一緒に練習したことがなかったのに、随分お世話になっています。大学受験の時、部屋に泊めて頂いたり、東京を案内してもらったり・・・・そして、地元に帰ったら、母校松山東高校のOB会や、の・ボール野球に誘っていただいたり・・・・お世話になりっぱなしです。

今日は、「京ひな 一刀両断」という純米大吟醸をいただきました。仕事が終わったので、これから呑んでみます・・・・・・これは、美味い‼️マッタリ、サラッとして上品・・・・これは、いけます‼️

昔の街並みが残っている内子町の「酒六酒造株式会社」が、製造元です。そこで、インターネットを調べてみました。

白壁と木蝋の町並みが、愛媛県屈指の観光地である内子町の中心部に位置しており、澄んだ空気と小田深山渓谷からの豊かな水の恵みを活かした酒造りをしています。内子町では古くから小規模ながらも酒造りが盛んで1920 年(大正 9 年)に地元8名の酒造家が集まり喜多酒造の名 で「京ひな」を醸造。1941年(昭和 16 年)に引き継いだ酒井繁一郎が、紡績業を興した父の酒井六十郎にあやかり 「酒六酒造」と社名を改め、今日に至ります。 商標「京ひな」は、京都の名僧がお酒を飲み、賞賛した日が「ひな祭り」であったことに由来しているそうです。

私の大好きな内子町、頑張っています❣️

伊予のストーンヘンジ

春分の日、我が家の近くにある巨石群に人々が集まってきます・・・・ところが、本日は雨、急遽(きゅうきょ)巨石群の近くの公民館で、「松山・白石の鼻巨石群振興会の設立総会」が行われることになりました。高浜というところに、巨石群が海の上に立っています。春分の日、秋分の日、夏至、冬至に夕日が沈む時、その光が巨石群のスキ間から、海面に龍の様な模様を描き、徐々に消えていくそうです。

様々な研究家が調査し、これは人工的な古代遺跡であろうと指摘しています。そこで、「伊予のストーンヘンジ」と命名されました。世界的にも、海にあるのは非常に珍しい遺跡だそうです。実際には、まだ見たことのない私が言うのも変ですが、ここは松山の観光スポットになれると思います。

そこで、月曜日に夕日を見に行こうと思います。素敵な写真が撮れますように!

モモ消えるの巻

モモ消えるの巻

生後5ヶ月のメス猫・モモが、消えました。
今朝、起きた時はキャリーボックスにいたのを、確認したのですが・・・・・朝風呂から出ると、消えていなくなりました。どこを探してもいません・・・・ドアは、しっかり閉めていたはず・・・押し入れを開けていたかもしれない・・・・・探しても、気配すらありません。9時から治療が入っているので、一階の治療室に行かなければ・・・・

治療中も少し、集中力が欠けそうになるのを、切り替えてしっかり集中・・・何とか、3人結果を出してモモを探しに2階に急ぎます。しかし、全く気配がありません。まさしく白忍者・モモ、お見事です・・・・・が、どう考えても、外に出ることは無理・・・・ところがいない。

ふと思いついたのが、流し台の下の開き戸。ゆっくり開けると・・・・いました、いました薄暗い隅っこに隠れていました・・・・これで、一安心。午後からの治療に集中できます。一仕事終えて・・・・

「モモ、そろそろ出ておいで!」

と、開き戸をあけるも・・・・・モモがいません。

「あれ?・・・・・あれは、幻視じゃったんじゃろか・・・いや、いや確かに居(お)った。」

再び部屋の隅々を丁寧に探しあるくのですが・・・・・気配がありません・・・・探すこと30分。
どうやら、流し台の下から出た様子はありません・・・・ということは、もしかして流し台の引き出し・・・・恐る恐る引き出しを開けると・・・・・頭隠して尻隠さず状態のモモ発見!

引き出しの後ろの部分の板が無く、ジャンプして入れる状態だったようです。普段、キャリーボックスばかりにいたモモ、少し冒険がしたくなったのかもしれません。次に狙われるのは、押し入れのはずです。まだまだしばらく、モモの「かくれんぼ」に付きあうことになるでしょう。

 

モモが品定め

戸棚に隠れることが出来なくなったモモは、キャリーボックスに隠れて、じっとこちらを見続けています。キャリーボックスは、上が開くようになっているので、撫(な)で撫(な)で作戦をしているのですが・・・・まだ片耳はイカ耳(警戒しているサイン)。

 

こちらが目を大きく開くと、モモにケンカを吹っかける事になるので、笑福亭鶴瓶師匠のような笑った細い目で、チラッとモモを見ることにしています。いつ見ても、こちらをジッと見ています・・・こうなったら、撫(な)で撫(な)で作戦。キャリーボックスに近づくと初めて、

「にゃあ~」

と鳴きました。これの意味することは、よく分かりませんが、もしかして挨拶(あいさつ)?

とにかく、撫(な)で撫(な)で作戦開始。途中イカ耳が、普通の耳になったので良しとします。

しばらくは、こんな調子が続くのだろうと思います。いずれにしても、生後5ヶ月の子猫が

60半ば過ぎのおっさんを品定めしている構図だけは変わりません。

「しかし、あのおっさん、水をチビチビ飲んで何がおいしんじゃろ?こちらのこと気にしてチラチラ細目で、見よる・・・・もう、早よ寝てくれ!ウチは早うネコタワーのボンボンで遊びたいの!」

「そうは、させん!これからYouTubeでワールドラグビーの試合を見るんじゃ。」

「ワールドラグビー・・・・?生後5ヶ月でそんなの分からない!」

などと、テレパシーでの会話は続きます。