暗黒舞踏の創始者、土方巽(ひじかたたつみ)氏が亡くなって1周忌にあたる1986年、西ベルリンのクンストラハウスベターニアンという美術館で、日本人舞踏家を招待し大きなフェスティバルがありました。それに天才舞踏家・石井満隆(みつたか)氏が招待され、私とFさんが付き人として同行することになりました。その数ヶ月は、1冊の小説になるほどの「てんやわんや道中」でした・・・・ので、省略。
「インターナショナル ストリート シアター フェスティバル イン イエニゴラ」に石井満隆氏が招待されており、西ベルリンの後は、ポーランドのイエニゴラに行くはずでした。しかし、同年4月26日にチェルノブイリ原子力発電所事故が起き、石井満隆氏は参加せず、私を推薦してくれました。
「ありがとうございます。行ってみます!」
なんの迷いもなくポーランド行きを決めました。木さえあれば、何とかなる。原発事故の影響も現地に行ってみなければ本当には、わからないはず・・・と、思うようにしました。
当時は、ベルリンの壁が存在し、東西冷戦が続いていました。東側のポーランドの一般市民には、「安全で、問題なし」の情報が行き渡っていましたが、ポーランドの芸術家仲間には、西からの情報が常に入っており、深刻な状況であることを理解していました。そんな中、日本からよく参加してくれた!と私は大歓迎されました。
その一部の作品が写真・・・・カソリックの国・ポーランドの子供達は、教会を作りたがります。すると、こわせないのです。全くこわそうとしないことが、新鮮でした。