トリプルブッキング

昨日午前9時前に、3名の患者さんが来られました・・・・トリプルブッキング❗️と、思いきや、実は、ご夫婦の患者さんが、日にちを間違えて来られたのです。丁度、外で畑仕事の後片付けをしているときのことです。

「先生、畑するんじゃ・・・今度、ええもん持って来ましょうわい。」

と言って、間違えて来られたご夫婦は、石鎚山と御来光の滝が展望出来るところまで、ドライブにお出かけしたのでした。

そして今朝、お二人が軽トラに長さ2m~2.5mの竹10数本、ボカシ肥、もみ殻のくんせい等を載せてこられました。もみ殻のくんせいを畑にばらまくと、

「これで、きゅうりを移植してもええと思います。」

奥様は、野菜作りのスペシャリスト。私がきゅうりを密集して植えていたのが気になっていたようです。そして、トマトの苗から小さな花を見つけると、

「この花の下の新芽を取ったら、ええんよ・・・そして、この新芽を土に植えると、根が生えてトマトはドンドン増えるんよ。」

「この枝豆は、きゅうりと相性がええけん、一緒に植えたらええんよ。」

「青じそは、1人で勝手に増えるけん、日陰になるところでちょっと離れたとことがええわい。」

等々、次から次へと教えてもらいました。このお二人の先生は、毎週通院されるので、作業着を着たまま、畑でお迎えすることにします。ちょっと作業してから治療・・・・いいですね〜。
ご主人には、竹で支柱立てを作るようにと教えてもらいました。お二人の治療後、四苦八苦しながら作ったのですが、これが、面白い❣️
毎日、毎日が楽しくなりそうです。

移植

畑作り2日目。

狭い鉢にきゅうり3本と、もう一つの鉢にはズッキーニとゴーヤを1本ずつ植えているのは、良くないそうです。のびのびと育てるのが良いようです。そこで、きゅうりとズッキーニを鉢から、畑へ移すことにしました。

ところが、昨日畑に牛糞を入れたので、3週間くらいはそのままにしなくてはいけないようです。また、1週間後には、消石灰を入れて土壌を中和します。消石灰と牛糞を同時に混ぜると、アンモニアガスがが発生する場合があるそうなんです。そのため、1週間のラグを置くそうです。

とにかく、今のままでは、畑にきゅうりとズッキーニを移植するのはリスクがあります。そこで、ホームセンターに行き、野菜作り用の土を40kg買うことにしました。

40kgの土を、畑で一番日当たりの良いところに移します。そして、きゅうりとズッキーニを移植。ついでに、ホームセンターで買ってきたミニトマト、ナス、オクラ、枝豆、青じそを植えました。もう一つついでに、クスノキの枝できゅうりのツルがのびるネットを掛ける木枠を、クスノキ の枝で作ったのです。

コロナ禍には、土いじりがいいですね。

ペット

子供の日とあって、ホームセンターは密集でした。早めに牛糞やらを買い上げ、早速畑にまきました。全くの素人が家庭菜園をするのですから、ある程度、基礎知識を頭に入れなくてはなりません。インターネットで調べると、農業とは、科学であることが分かりました。物凄く奥深い!

これには、参りました。

ただ、微生物を飼っているという意識で畑を見ると、楽しくなります。微生物が心地よくふわふわのベッドで生活してくれればいいのだ!と思うようになりました。

私が子供の頃は、父親が飼っていた小鳥(セキセイインコ、十四松、ベニスズメ、文鳥、カナリヤ、ボタンインコ、キンカチョウ等)の世話をするのが、仕事でした。それ以外にも、カラス、ニワトリ、犬などの生き物と生活していたのですが・・・今は、生き物を飼う生活をしていません。

ところが、微生物がペットになりそうです。楽しく家庭菜園をやってみます。

畑作り

コロナ禍で、京都出張治療が出来ない今・・・さびしいです😔。京都の皆さまお元気でしょうか?

今日は京都出張ではないけれど、臨時休業をして畑作りをしました。当院の駐車場に、一人暮らしおじさんに丁度いい畑スペースがあるのです。近所の神社から持ってきたクスノキで土囲いを作り、高校の同級生の山から、真砂土(まさつち)という花崗岩からできた土を運び軽トラ2往復で、畑ができました。

これから、牛糞やら腐葉土やらを入れて土作りをします。コロナ渦で感じたのは、自分で食べる野菜は自分で作るという事。私の住んでいる松山市は、野菜を作ってもイノシシや猿が来ることもないので、作っただけ手に入ります。

当院に来られている患者さんは、農業従事者が多いので、野菜の事を聞くと2倍、3倍の答えが返ってきます。素晴らしい先生が多いので、ドンドン失敗しながら作ってみようと思います。

明日は、牛糞やらを買いに行くのです❣️

昨日、漫画家村上もとか氏原作の「仁」のテレビ再放送がありました。これは、東京在住の外科医が、江戸幕末にタイムスリップし、当時の蘭学(西洋医学)の第一人者であった緒方洪庵(おがたこうあん)、坂本龍馬などとめぐり合うお話です。

そこで、コレラ騒動に巻き込まれ、主人公の仁が行った治療法は、点滴です。当時無かった点滴用具を、職人に作らせて塩と砂糖を入れた水を投与するだけ、後は病人を隔離するという手段をとりました。実際、コレラの症状は、体重の2倍程の下痢便をもよおすこともあるため、脱水症状を抑えることが、一番大切なことになります。

ということは、治る治らないかは、ご自身の体力があるか、ないかに関わるように思います。薬に頼らない身体を日頃から意識することが大切だと思います。

私の心がけは、朝風呂です。やや熱めの湯に飛び込み目を覚まし、末端の手足をもみほぐします。そして、しっかり水浴びをします。体内の毛細血管の長さは、地球を2周半します。これをきたえるには、水浴びが良いと思っています。

健康は、スムーズな血流と質の良い血液と、感謝の気持ちで作られると思います。コロナ騒動の昨今、毎朝の水浴びと、神棚礼拝が私には、欠かせないものとなっています。

アフターコロナ

体調が良くなり、2週間に1度来院の60才代男性患者Cさん。15分ほどで治療は終了したので、残りの時間は、同じ壁を見ながら(正面を向かい合う密接にならないため)Cさんはマスク、私は雨合羽(あまがっぱ)にマスクとフェイスシールドという物々しい格好で、のんびりお話をしました。Cさんが、

「アフターコロナどうなりますかね~」と突然、話題を振ってこられました。

「・・・地方が力をつけてきますよ。何も東京にいる必要がないでしょう。もう一度、農業や環境を考え直さないと・・・・テレワークや、リモートワークが当たり前になっていくでしょう。」

「年収100万円で一戸建ての田舎暮らしと、年収1000万円で、狭い一室の都会暮らし・・・どちらを選びますか?・・・ということですよね、価値観がガラリと変わりうるって感じですか・・・愛媛県が、積極的に都会に対して、農業従事者の援助を呼びかけるべきです。例えば、空き家を用意し、年金生活の都会人に移住してもらい、農繁期に集中して手伝いしてもらう。」

「それは、いいですね!何せ愛媛ほど住みやすい所はありません。台風が来ても、石鎚山が守ってくれるし、瀬戸内海には、鎮守の杜の島が浮いていて、海は川のように流れ魚は美味いし。」

「道州制になればいいんですよ。四国が八十八ヶ所でつながり、歩いても良し、サイクリングでも良し・・・四国四県はそれぞれ個性があるので、魅力的です・・・ヨーロッパでペストが流行り当時の30%くらいが死んだといわれて、そのあとルネサンスが生まれてきたんです。」

「ああそうなんですか・・・・ということは、歴史は繰り返す。相似形で現れますね。」

等々、話はどんどん展開していき、いつの間にか30分が経ってしまいました。そして、改めて我々人類の分岐点が来ていることを感じたのでした。

コロナヴィールス感染拡大に思う

先日、患者さんの奥様から、

「先生、これさし上げます。夏の日避(ひよ)けになりますよ。」

と、ハヤトウリを戴きました。ちょうど、コロナヴィールス感染拡大という時代の転換期に遭遇し、自らの生き方を改めて見つめ直している時の素晴らしいプレゼント。

一極集中の時代では人類が破滅しやすい。最先端を走っているニューヨークの様子をみると、ついついそう思ってしまいます。

テレワーク、リモートワークが叫ばれ、もうすでに実施されているところもあります。コロナヴィールス感染収束は、素人の私でさえ1~2年はかかるだろうと感じます。そうなるとテレワーク、リモートワークが当たり前の世の中になるでしょう。人工頭脳の導入にも拍車がかかり、医療、介護の世界も徐々に変化していくでしょう。

コロナヴィールスの押さえ込みに成功した南京(中国)では、薬をロボットが運んでいるという情報がありました。人工頭脳との共存(時代遅れの私には、ちょっと難しい・・・)が進み、病院も接触の機会を減らす方向を示すように思います。ただ、それだけでは、治療は成り立ちません。医師が触診をしなければ、なりません。また鍼灸を中心とした代替医療を、今一度見直す必要があると思います。江戸時代では、鍼灸がしっかりとした医術だったのですから。

人と会う機会が少ない今、土に触れることがどんなに心を癒(いや)すことか!

駐車場のすみにある土地の草引きをしただけで、エネルギーをいただきました。こんな時代こそ自然と触れ合うことの大切さを改めて感じました。

野菜大好きな私、とりあえず植木鉢から野菜作りに取り掛かることにしました。幸い、農業従事の患者さんが多いので、少しづつ教えてもらいます。

私の実家がある東温市河之内は、自然いっぱいの休耕田いっぱいの限界集落(65才位上の人口比が50%以上)都会からリモートワークできる人、お越し下さい。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B8%A9%E5%B8%82

雨の松山

 

昼間高速バスに乗るのは・・・・記憶にない・・記憶力悪いから(*^ω^*)・・元々記憶力に自信が無い私、65才を機に益々イメージ(絵とか画像)で記憶すること・・・でやっております💦(余談)

本来なら、夕方大阪駅に着き、そのまま山元式新頭鍼療法(YNSA)上級コース2の「有志によるちょっと遅い新年会」に出席の予定でした。ところが、新型コロナウイルスの流行で当然、新年会中止。世の中は3連休・・・夜間高速バスに乗り換えなど出来ません。やむなく、昼間に大阪へと移動しているのです。

私のように、「基本的ふうてんの寅さん」は、身(自分自身)を異空間に置くのが好きなので。そこから見える自分が面白いのです。その際たるところが、ニューヨークだったように思います。こんなアホな私を、ニューヨークに行かせてくれた両親には、心より感謝しています。多分、あの当時を思い出し、文章に残せば一冊の本になると思います。それくらい濃厚な日々でした。

今、私の息子が、ニューヨークのブルックリンで映像の仕事をしていると、風の便りで聞きました。私と同じように濃厚な時間を過ごしていることでしょう。

山元式新頭鍼療法(YNSA)の基本概念は、ソマトトープ(小さな人型)。元々何にも無い世界から宇宙が出来たことが、不思議。私にはよく分かりません・・・が、陰と陽が出来そう・・・ならば、法則が生まれそう・・・・・で、よく分かりませんが、宇宙とこの身がソマトトープ(小さな人型)になっている感覚があります。

我が息子が、ニューヨークでソマトトープ(小さな人型)しているようです。

バスタ新宿

「バスタ新宿」が新宿南口に出来て、もう2~3年は経つと思います。これで、夜行バスや高速バスの「格」が随分上がったように思います。それまでは、薄暗い新宿南口のほこりと排気ガスでよれよれになった制服とテカテカの帽子の従業員さんが、マイク片手に、

「続いてまいりますのは、10時30分発◯◯行き△△号1号車・・・」

渋い声で名調子の従業員さんには、惚れ惚れしていました。まだ、昭和が残ってたのです。その新宿南口バス停も、「バスタ新宿」建設のため、人気のない代々木駅の暗いバス停に移転。ますます昭和になっていったのです。私は、東京から京都や仙台の夜行バスを毎月利用していた時期が、10年くらいはあったので、その変貌を身を持って知るようになりました。

「格」の上がった「バスタ新宿」。今来ています・・・・ピカピカのエスカレーターに乗って、4階まで来ないと、松山までの夜行バスに乗れない事になっています。構内は、ちょっとした飛行場のロビーです。このバスタ新宿の3階はタクシー乗り場、2階は、JR線、小田急線、京王線始め地下鉄の総合乗り場。あの昭和のバス停が一気に令和最前線のハブステーションになっているのです。

ところが、松山⇆東京のJR夜行バス、今月で廃線となってしまいます・・・・地方との格差を思い知ります。もうこれで乗る事は無いJRバス東京松山間を、半日かけて楽しみます。

新宿でゆっくり

 

東京で一番ホッと心が和(なご)むところが、新宿。しかも歌舞伎町界隈、なぜかというと、「あしカラダ新宿店」の立ち上げ時から、スタッフとして働いていたからです。2年以上働きました。開店当時は、サンドイッチマンとなり、チラシを配り続け・・・・それでも、お客さんが0名。なんて日がありました。お客さんが増えてきても、時間さえあればサンドイッチマンをしていました。あの時の、接客のあり様が鍼治療に役だっています。ですから、あしカラダには感謝感謝です。

これから、新宿のカプセルホテルでゆっくり休みます、明日に向けて❣️